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よっぽどの縁ですね☆大谷徹奘和尚 東濃の地へ(その4)

よっぽどの縁(歓宿縁)

世界遺産薬師寺 執事 大谷徹奘和尚のお話

よっぽどの縁ですね☆大谷徹奘和尚 東濃の地へ(その3)

つづき・・・。

 

何事も「縁」である。
「縁」の上に「良(良縁)」や「悪(悪縁)」を付けるのは、
「縁」をいただいた後に、自分の「感情」が勝手に付けていることである。

よっぽどの縁(歓宿縁)

「好きか嫌いか」「損か得か」で判断するのではなく、
それらを一度横において目の前の「縁」を大切にしなさい。

「好き」「嫌い」という感情の前に「縁」があるのです。

 

自分が「○(まる)良い・悪くない・思い通り」、相手が「×(バツ)悪い・思い通りでない」と考える。
※相手を受け入れていない状態。

自分も「○(まる)良い・悪くない・思い通り」、相手も「○(まる)良い・悪くない・思い通り」と考える。
※相手を良いと認めても、まだ受け入れているとはいえない状態。

自分と相手が「+(縁)」でつながると、「花まる」になるんだよ!
と大谷和尚が笑顔でおっしゃいました。
※相手を受け入れると、「1+1=2」ではなくそれ以上になる。この状態が「花まる」

この会場(今回の講演会)でみなさんがお会いするのも「よっぽどの縁」ですね。
偶然みなさんがこの会場にいるのではない。
偶然私(大谷和尚)がこの会場に来たわけではない。

 

たしかに・・・大谷和尚は、ものすごくご多忙な方。
講演会当日は東濃(多治見)で一泊するはずでしたが、
急遽お帰りになることに・・・。

当日のその時になるまで、様々な予定が変更になるというハプニング続き。
主催者の八神凛子さんは、大谷和尚の講演が中止になるのではないか!?と、
ハラハラドキドキしっぱなしだった!と(講演会終了後に)おっしゃっていました。笑

 

会場にみなさんが来るまでの間に、(交通事故など)何もなかったから来られた。
そして、無事に来られたから(隣にいる人とも)出会えた。
このご縁に感謝しなくてはいけない。

今、自分に与えられている縁を「静思」してみましょう。よく考えれば、世の中にたまたまや偶然なんてないんですよ。自分では考えも及ばないおととのえが有って、私たちは出会っているのです。すべては「よっぽどの縁」です。よっぽどの縁がなければ、家族などという関係にはならない。よっぽどの縁がなければ、同級生・同僚なんて呼ばれない。よっぽどの縁がなければ、今日の出会いもありませんよ。さあ、立ち上がって隣の人と向き合いましょう。そして、お互いに見つめ合って、微笑んで、「よっぽどの縁ですね」と言ってみましょう。

静思のすすめ(大谷徹奘 著)P.118より

 

会場の参加者が全員立ち上がり、隣の人と向き合いました。
「まっすぐに立って、相手の目を見つめて微笑んで! よっぽどの縁ですね と言いましょう!」
大谷和尚のかけ声とともに、皆が相手の目を見つめて
「よっぽどの縁ですね!」と手をつなぎました。

よっぽどのご縁ですね!と相手を見つめて微笑んで言う

織部ヒルズ内「Felice(フェリーチェ)」店長の藤田裕子さんと☆
よっぽどの縁に感謝!

性格も好みもまったく異なる二人。
あの日、あの時、あなたと出会っていなかったら、
今ここでお互いに手をつないでいることはなかった・・・。
「1+1=2」以上の関係。実感できるね、裕子さん♪

大谷和尚のお話を聞いて、今まで以上に
「ご先祖様を敬う」ということの大切さも学びました。
ご先祖様あっての「私」なのです。

 

十円玉はどんな形だと思いますか?

「十円玉は丸い」これは間違いではありませんが、正解でもありません。
答えは「丸」だけではない。

十円玉は横から見たら「薄い長方形」
見る角度を変えれば、十円玉は「丸」であり「長方形」なのです。

思い込みを捨てれば、見えてくるものはたくさんある。
すべては自分の「意識」しだい。
自分の「価値観」というモノサシで物事を見ない。決めつけないことが大切。

 

今回のご講演での大谷和尚のお話は、
事前に著書「静思のすすめ」を読んでいたので、すべてのことが
スーっと自分の中に入ってきました。

私自身、「我が強い」のはわかっていたのですが、
「無我」=我(自分)を無くさなくても良い
と言われて、少しホッとしました。

昨年(2012年)から自分に言い聞かせるようになったこと、
静思のすすめを読んで理解できたことは、
「自分が正しいという主張」をするのではなく、
自分の価値観のモノサシを一度横に置いて(一呼吸おいて)、
「よく見る、よく聞く、よく考える」こと。

また、歳を重ねるということは老いて死に近づくということですが、
大谷和尚のお話の通り、「経験を積む」ことは心を育てることになり、
若い頃には得られなかった「自分」が得られるようになるのだな・・・と。
老いる楽しみを見つけた感じです。

 

すべてのご縁に心より感謝いたします

「世界遺産薬師寺 大谷徹奘和尚&竹下健治氏 特別講演会」を
東濃(多治見)で開催するにあたり、会場の手配から大谷和尚の接待、
そしてギリギリまでタイムスケジュールの変更をして
参加者へのご配慮をされた八神凛子さん、心より感謝いたします。

当日の会場受付のお役をさせていただき、
私にとっては大変すばらしい経験をすることができました。
ありがとうございました。

 

今回は大谷和尚の前座講演を務められた竹下健治さん
ご縁を調えて大谷和尚を東濃の地へ呼んでいただき、
心よりお礼申し上げます。

竹下さんの講演を初めて聞いた時、
自分の人生は、すべて自分が決めている」と、ご縁のお話をされました。
私はそのお話を聞いて以来、「すべての縁が拾える人」になりたいと
常に意識するようになりました。

また、2回目の講演では「自知(じち)」というお話をされました。
自分のポジションを知るために、今、目の前の現象がある(起きている)ということを
学ばせていただきました。

3回目の今回は、ご縁についての学びや氣づきだけでなく、
「人の輝き」「心の余裕」を(竹下さん自身から)見せていただきました。

今の私に必要な
「もっと大きな(心の)余裕を持てるようにしなさい」
というメッセージをいただいたように思います。

心に余裕を持てるような(心を育てるような)経験を、これからも
たくさんしていきたいと思います!ありがとうございました☆

 

大谷和尚のお話をはじめ、私の周りの身近な方々が
私の「我を通す(自分が正しいと主張する)」性格、ストレートに物事を言ってしまう部分について、
皆さんそれぞれのお言葉で私に注意して下さいます。

そのような方々とのご縁をいただき、
本当にありがたいなぁ~幸せだなぁ~と思います。

私に関わっていただくすべての方へ
「よっぽどの縁ですね」と微笑んで、心より感謝するとともに
皆様の幸せをお祈りいたします。

私自身、大谷和尚、竹下さんのように
少しずつでもご縁とご縁をつないでいける人間になりたいと思っています。

かなりの長文ブログにおつきあいいただき、ありがとうございました。
m(_ _)m